偶像・看護師

やりがいもあって人の為にもなって、お金も貰えて、なんて素敵な仕事だろう!

ああ、看護師、本当に素敵!わたしもやりたい!

…そんな一般職者が皆無で、看護師と言えば?

「激務で大変」「夜勤もあって大変」「いつでも救急車が来るんでしょ?」

そういったイメージが大半なのに、なぜいざ看護師を目の前に話すと、いけしゃあしゃあと、「やりがいのあっていい仕事」「人の為になるいい仕事」と押しつけがましく言ってくるのだろうか。自分はまったくもって、やるきもやりたい気持ちもないくせに。

一般職者のこういった、「褒めてあげている」スタンスの言葉は、実は誰よりも看護師たちの心を抉っていっているということを、今一度ここに記しておきたい。

そういって、善性の押しつけを看護師にしていく社会と人々に怒りを覚える。

その仕事をしているからといって、自分の人間としての在り方にレッテルをペタペタと貼らないでほしい。その職業をしているだけのただの一般人です、と声を大にして言いたい。

わたしはどちらかというと、倫理的にはよくない人間であると思う。

休日を満喫中に人が倒れていたら?かすぐに迷わず介抱するか?と言われれば迷ってしまう。助ける技術があるんだから、看護師なんだから、言い分はごもっとも。

しかし、仕事で看護をしているだけ、報酬も発生しないプライベートに、時間を費やして助けます!と堂々と言う正義感は持ち合わせていない。

プライベートまで仕事まがいのことで潰すのは嫌だなあ、とぼんやり今文章を打ちながら考えている。

少しわたしの話をさせてもらおう。祖父が数年前、脳梗塞で気を失い、救急車で運ばれた。わたしの親族がこれがまた非常識で、面会時間が一般病棟より短いICUに運ばれたが、夜中であったにも関わらず、ICU内に何度も何度も入っていく。少しICUの看護師に注意されても、バレないように行く、とこっそり何度も何度も入っていく。当時まだ働いていなかったわたしでさえ、「さすがにやばいだろ」と思って止めもしたが、そんなことを聞いてくれる親族ではない。最初にも言ったけれど、親族連中は非常識なのだ。怒りがピークに達したのか、ICUの看護師がブチ切れて怒りに来た。当時はそりゃ怒るよなあ、と思っていたが、今ならはっきり親族たちに言ってやりたい。

「この夜勤の看護師がただでさえ少ない中、キチガイみたいなことすんなよ。やれることなんかマジでないんだから今すぐ帰れ」って。

 

まあ、一家族、一親族間では一大イベントである身内の病気であるが、看護師になって働いてみれば、高齢者が病気になって入院することは欠伸が出てしまうくらいありふれたこと。まったくもって、よくあることなのだ。いくら可哀想ぶったって、いくら大変だと嘆いたって、日常的にありふれている出来事の一部にすぎないのだ。

その看護師に、共感をいくら求めようが、同情をしてほしいオーラを出そうが、本当にいつも通りの、ルーチンワークのように、頭ではまったく思ってもない言葉を反射的に返す。「大変ですね。よく頑張っておられますね。」と。そんな言葉をかけたことすら、すぐに忘れるくらい何度も何度も何度も繰り返した言葉だからだ。

 

わたしはよく仕事中、自分はアイドルと思ったりする。鳴りやむことのないナースコールは歓声の嵐。患者の訴えはファンサービスの要求。看護師として白衣を身に纏った自分は衣装で着飾るアイドル。なので嫌な顔一つせずに何でも受け入れる、何でも要求は聞いてあげる、個別性のある対応もといわがままを通してあげる看護師然とした態度を求められるのだ。うん、実にしっくりくる。演技をしなければ笑顔の一つすら作る事ができない。

アイドルとして立ってしまったからには、アイドルらしい振る舞いを求められる。アイドル「らしさ」を自分とはかけ離れてしまっていても演出し続けなければならない。ちょっとでもプライベートが流出したり、ファンの思い通りの人物像でなかったら一気に手のひらを返されて、批難轟轟、裏切られた、こんなのアイドルちゃんじゃない!

そんな逆境の中生きるアイドルと、看護師である自分に勝手に類似性を見出してしまったのは、おこがましいだろうか。

違う点といえば、引退する時に華々しく報道されて、「普通の女の子に戻ります!」なんて言いながら芸能界を去れる芸能人と、「せっかく資格をもっているのにもったいない。」とか、「まだまだ辞めるには早い。」なんて小言を言われながら、結婚や妊娠を理由にしないと比較的穏便に辞められない一医療者の差だろうか。

わたしも「普通の女の子」(なんて年齢ではないのだが)に戻ります、とか言いながらきれいさっぱり看護師業界から去りたいなあ、やってやろうかな、なんて考えながら、患者の歓声という名のナースコールを受けながら、患者へのファンサービスを行っていく。個別のファンをつけたところで面倒臭くなるだけなので、出来るだけ、患者の「オキニ」にならないようにしながら。