繁栄と荒廃

見抜いている方もいるようですが、わたしは今、退職と休職の狭間に揺れている、今にも現場を退いてしまうかもしれない状況の看護師です。ギリギリのところで踏ん張っているからこそ、新鮮な憎悪と怒りを発信できているのであります。 リアルタイムでひとりの名前も知らぬ日本中のどこにでもいてただひとりしかいない、ちっぽけな看護師の苦しみもがく様をお届けできるコンテンツかもしれませんね。それもまた面白いのではないでしょうか。出来ることならば、看護師や医療職者以外の目にも触れて、第2第3のわたしのような看護師が見えて来ないだけで山のように積み重なって存在していると、わかってもらえたらなぁ、と思います。


病棟を限界集落、と例えさせてもらったことがありますが、もはや「あまりに繁栄しきった後、荒廃してしまった惑星」と例えるのがしっくりくるのではないかなと思う。アニメではよくあるじゃないですか。そういう設定。なんで繁栄していたのに廃れてしまったの?と昔は思ったものですが、発達していくにつれて、大事なものが切り捨てられていってしまう。発達している途中はわからないまま、後になってわかってくる、というのが通例。医療業界って、今その段階にきているんじゃないでしょうか。生きているか死んでいるか曖昧な状態で延命された老いた命を大事に大事に生かすため、若者の医療者が消耗して食い潰されていく。最後に残るのは、荒廃してしまった惑星という名の医療技術を駆使して生かされた枯れ木のような高齢者。

命に重さはない、と言うけれど、わたしはそうじゃないと思っています。

誰が経済を回して、誰が働いて、誰なものを作っていくのか。寝たきりの高齢者にはできない。つまり、、、という話なのです。

だから不要である、とズバッと切り捨てる強硬手段はしませんけど、無駄な医療、不要では?と思うって話です。

その治療、その医療、断捨離しちゃいません?ベッドで寝たきりのその数年、言葉も話せなくて自分で動けないその数年の命、必要ですか?ニコニコ笑って、そう提案してみたいなぁ、と思う。今の日本では、不謹慎だって一蹴されちゃいますね。世界がわたしに追いついてほしいなあ。と思う今日この頃。不謹慎ナーシング・ライフ。