資格と仕事と女と田舎

わたしは関西の田舎に住んでいる。

誰しも、転職やバイトを探すために、スマホで転職サイトや求人を見ることってあると思う。

わたしもよりいい仕事や条件がないかな?とか、今の職場で嫌なことがあれば、衝動的に見ることがあったりする。

田舎だと、コンビニバイトや介護、パチンコのホールやクリニックや医院の受付、しかも薄給の仕事ばかりだったりする。選択肢が狭い上に薄給。クソ田舎、マジでパッとしないな……と思って見るのをいつも辞めるのだった。

看護師は手に職があって、就職にも困らないね、というテンプレートな台詞を、他人から聞くこともある。が、それはまぁ、事実ではあるなぁと思う。そのメリットを感じるのは、看護師として中堅くらいになった頃からだけども。

学生自体は手書きの記録に追われ、若手時代は経験年数が最低限「それなり」になるまでは働き口の選択肢は狭い。ほぼ強制的に夜勤もやらなきゃいけない病棟勤務を経験しなくてはいけない。

その懲役を越えたら所謂看護師としての仕事には困らないモードに突入はできるわけだ。

わたしはあまり看護師のキャリア的に褒められる経歴を辿ってはいない。数ヶ月で辞めた!という短期間離職はさすがにないけれども。

それでもまぁ、転職時に困ったことはないように思う。2つ履歴書を出したら必ず1つはひっかかる、もしくはどっちも採用通知が貰える、くらいの感覚だろうか。それがイージーモードというなら、確かにわたしは「仕事には困っていない」のだろう。田舎に住むと、働き口の選択肢は狭いので、田舎でうねうね停滞して生きるなら、看護資格は強みなんだろうな、と思う。

わたしはイマイチ看護師という仕事内容がいいもんだと思わないので、ふわっとした物言いにはなるのだが。

ただ、生まれが華やかで、都会に実家があるなどするなら、決しておすすめはするもんでもない。都会には仕事の選択肢もたくさんあるし、敢えて医療ドカタ道に踏み入れることもないと思う。実家が太い人も以下同文。敢えてこんな封建的な社会に足を突っ込む必要はない。感情コントロールできずにイライラしてる女たちの百鬼夜行、病棟もジジイとババアのスマブラなので。看護師の時給は、場所にもよるが最低賃金の倍あるかないか、くらいだろうか。まぁそれはそこそこありがたいなとは思う。やってることのリスキーさ、背負わされている責任を加味するなら、もうちょっと貰ってもいいよなぁ、とは思うけれど。そういう話になると、非医療職が何故か発狂し出すので、あんまり語らずにおく。わたしの働き方は、今は正社員ではない。働く日数も週5も働いておらず、非常勤で日数もまあまあ絞っていて、地方の正社員女とどっこいくらいはもらっているので、まぁいいかなあと思っている。仮に結婚して、子供が生まれても、無資格のパートで週5で働きまくってなお薄給、旦那の稼ぎに文句をつけたり、自分のキャリアを捨てる羽目に云々愚痴愚痴言う女と化す、みたいな事態には決して起こりえないのも、看護資格の強みかなとも思う。

そういうメリットがあるのもまた事実で、オバチャン世代が看護学校編入したりするのもそこなのかなぁとも思う。ただ何事もメリットもあれば、デメリットもあるもので。そこはよく精査して考えた方がいい。ゆめゆめ忘れちゃいけない。

アラサー女の分岐点?

看護女として、医療的な話をすることも多かったけれど、また今回は違った話もさせてほしい。わたしは所謂アラサー女にカテゴライズされる年齢だ。アラサーの定義は人にもよると思うけれど、26-33くらいまでかな、という感覚でわたしは使用している。(具体的にこの辺りはしっかり決まっているのだろうか?調べていないのでわからないが)

よくよく感じるのは、このアラサー世代、身に置かれている状況が各々違いすぎて、人間関係の変動も激しいように感じられる。今までも進学・就職・その他諸々。さまざまな機会にぶちあたってきたつもりだったけれど、そんなん目じゃない。めちゃめちゃ怒涛に揉まれている最中だ。

女、今やバリキャリ・おひとりさまなど昨今は自立しまくった強い女も出てきているように感じるが、わたしは最先端の大都会・東京に住んでいるわけではなく。過疎気味の片田舎で暮らしているので、看護師特有の平日の不定期休みに外に出かけてみれば、着飾っていない主婦やゆ〜っくり歩いている高齢者の姿が9割。そんなところに住んでいるので、流行りの価値観も入ってきているわけがなく、女は結婚しているかしていないか、結婚していれば専業主婦か共働きか、はたまた子供がいるのかいないのか、つまりまだまだ昔ながらの価値観で停滞している。わたしは田舎に住んでいる以上致し方ないことと割り切っているし、この土地はそんな感じで新しい風がなかなか取り入れられることなく終わっていくのだろうなという空気感がどんより漂っている。

そしてまた、この一つ一つの置かれた状況により、立場が全然違うのだ。

そしてその立場の違いによる考え方の違いで、わたしは数名の友人と縁が切れた。学生時代の友人たちと、だ。

最初、かなり病んだが今は仕方のないことと少し時間がかかったものの、自分の中に落とし込んだ。

そのエピソードを少し、聞いて欲しいなと思った次第だ。


わたしは決して短くない期間、交際している相手がいた。相手の奨学金返済が終わってから結婚するという話は昔から決まっていた。かといって、何かあれば別れもするだろうし、口約束だし、確約というわけでもなかったが、別れることなく婚約するに至った。1年ほど前から婚約の話は徐々に具体性が出てきていて、病棟勤務の影響でよくある精神的不調をきたしており、わたしは奨学金を借りていなかったこともあり、そんなに無理することはないか、と転職時非常勤として働いていたのだった。

婚約の話をするため、いざ看護学校時代の友達に、久々に連絡を取った。コロナ禍で、わたしは割とまともに自粛をしていたので、友人たちとは丸々2年近く会ってはいなかった。親族に自宅介護されている高齢者がいて、母親が定期的に介護の手伝いにも行っていた、という関係もある。(看護師だけど、わたしは仕事柄不特定多数と関わるから、という理由でコロナを気にした親族から出禁を食らっているので、介護には関与していない)その友人は、割とコロナ禍でもガンガン歩き回るタイプで、あんまり罪悪感もなさそうで、なんとなくわたしはいい思いをしていなかったが、これは各々の価値観の違いということで飲み込んでいた。

そうして連絡を取っている最中。

「今何で働いてるの?パート?」

いきなり前触れなく、そう投げかけられた。ちなみにわたしはまだ婚約の話をしていない。

今はパートだ、と伝えた。ちなみに彼女は、前に病気をした関係もあり、2年以上派遣で働いていた。未婚で、恋人の話も聞いていなかったので、多分今もフリーなのだろう。

「ふーん。何のしがらみもなくて楽よな。私も一生パートで気楽に働いてたい。まぁそのうち就職するけど。」

コイツマジで言ってるか?そう思った。

結局言葉が出ず、婚約の話も出来ず、会おうとするのは隣県の都会ばかりだったので、会う約束もせず、そっとブロックした。

この人とは、この人生ではもう関わりたくないなと思ったからだ。元々自分語りの多い自分の苦労自慢が多いタイプだったが、アラサーにもなって、しかも彼女わたしより年上なのに、まだそんなマウンティングみたいな真似する!?という「人間的成長できてなさ」に愕然としたのもある。アラサーはそういった、人間レベルのズレを感じる分岐点なのかもしれない。

そして歳をとって社会に揉まれて、「プライベートくらいは優しくて柔らかい、傷つかない環境に身を置きたい」と考えるようになったからか。若さゆえの血気盛んさは徐々に削がれてゆき、穏やかで胃に優しいものを欲するようになってきているというのもあったのかもしれない。ただでさえ看護師業、あらゆる魑魅魍魎と相対して疲弊することが多い。同僚や仕事仲間も場合によっては敵にもなる。気疲れも多い。後,学生時代より社会人として働いていることによりそういった大人意識も、数年社会に出てきているというのもあるだろう。

それ故に、子供っぽさ、配慮のできなさ、諸々が許せなかったのかもしれない。図星で痛いところを突かれたから、と思っていただいてもかまわない。立場がまちまち変わっていくことによる他人とのズレが決定的になった。それが出やすいのが、このアラサー世代。そう感じた。だって,今までこんなに派手なともやめ案件なんかなかったのだから。ひとまず、わたしがわたしを一番幸せになれるように、生きていきたいなと思っている。他人は、無条件にわたしを幸せにはしてくれないのだから。

リバイバル

2018年に書いたブログ、当時たくさんフォロワーのいる相互フォロワーが言及してくれたことでかなり拡散されたんですが、まさか2021年に再びまた違う方に話題にあげてもらうことになって閲覧が増えることになるとはなあ、という気持ちです。

長らく動かしていなかったブログだけど、人入りもあるようなので、昼休憩の時間を使って、少しだけ。


書いた当時、多分全てが嫌で病んでいたんだろうなと読み返してて感じています。

かと言って、わたしの倫理観は終わっているので、病棟の外来の待ち合いは毎日ジジイとババアのスマブラだし、年寄りは暇だな〜と思っていますし、高齢者ばっかりギュウギュウに詰まった病棟にはうんざりするし、主訴を聞いたり附随する症状を一生懸命必死に伝えてくる老人に対しては、笑顔を貼り付けて営業用の高いトーンの声を出してオーバーリアクションで傾聴しながら、長く人体稼働させてりゃ、ガタの1つや2つは当たり前だよ、喚くな…と思っています。実際に口には出さないし、頭の中だけで完結させているわたしだけの気持ちなので、誰に何を言われる筋合いもないし。ブログには書いているけれど。


気が向けばポツポツまた書こうかなと思います。暇つぶしにでも見て貰えたらこれ幸いです。



コロナといっしょ。

久しぶりにブログを更新する。
それもこれも、聞いてほしい話があるからだ。久々にブログを書こう!という意欲がわいてきた。暇なときにでも読んでもらえると幸い。文章は人の目に触れないと何の意味もないので。

世の中は様変わりして、今やコロナ、コロナ、コロナ…。感染意識が国民の中で芽生えて、インフルエンザは例年に比べてかなり罹患率が低いらしい。それほど世に与えた影響は大きいということでしょう。良くも悪くもですが。
私は地方に住んでいて、主要都市に比べてコロナ発生数は抑えめな傾向にあるけれど、じわじわと感染拡大を感じるし、すぐ近くまで迫っている感覚さえある。知り合いの知り合いレベルまで感染者が出ているからだ。
例えば、親の勤め先の、同僚の娘が今年の夏にコロナにかかった。
地方なので今年の夏というとまだまだコロナ感染者が少ない時期。最先端も最先端だ。これは一騒動あった。
親の勤め先はというと、介護系。
すぐさま親の同僚は出勤停止、様々な可能性を鑑みて、同僚の検査結果が出るまで、介護サービスが停止したそうだ。上司はひっきりなしに利用者に事情説明の電話と謝罪、サービスに入れないことを繰り返していたという。
結局同僚は陰性だったが、しばらく出勤は取りやめとなった。コロナ患者の家族、濃厚接触者なのだから仕方ない措置ではある。
ちなみにその娘の感染経路は、友人経由らしい。発熱していたけど、一緒に遊んでいたとのことだ。若い、元気な子の危機管理能力はそんなもんかあ、と思った。
親の職場関係者からコロナが出たとのことで、私も勤め先にせっつかれた記憶があり、正直迷惑した。
そして最近、その親の同僚の娘、まさかの2回目のコロナ感染が発覚した。
私は、コロナ抗体、存在しないじゃんという気持ちと、若さハンパないなぁ、親にも親の会社にも大打撃を与えて尚2回目の罹患、すごいなぁ〜と思った。いや、万が一、この娘は悪くないのかも、とも思ったが、発熱しててもネイルサロンに行ってたらしいという話を聞いて、頭どうなってるんだろうかとか、親の育て方が悪かったんだろうかとか、こんな娘追い出したらいいのになぁ、と思ったりした。詰まるところ、懲りてない様子だった。親の職場では、口には出さないものの、またかよ…という空気が流れたそうだ。…誰も口には出さないが。
1回目の娘の罹患で職場に迷惑をかけたと、その同僚は退職を申し出たらしいが、職場は辞めさせなかったらしい。本人からの申し出とはいえ、形はどうあれ、コロナで辞めさせた会社というレッテルを貼られるのを避けるためだろう。今回2回目だが、その同僚、やっぱりまた退職申し出するんだろうか、とその同僚と面識もない私までぼんやり気にしている。多分会社はその理由では辞めさせないと思うけど。
…こんな感じで、割とコロナ罹患は自分だけの問題じゃなかったりする。身近で発生してみて実感した。割と自分の関わってる人たちから更に枝分かれして影響って与えてしまうのだ。なかなか普段はそこまで考えが至らなかったりするけれど。
後、最近私が驚愕した話をひとつ。
ツイッターのフォロワーで、実家は東京だけど単身赴任で大阪に来ている人がいる。
そのフォロワーが最近新幹線で東京に行くと言っていた。私は、今!?敢えて!?と内心思ったりしたが黙っていた。そして東京についたらフォロワー数人とオフ会、数日滞在して居酒屋へ行ったりした後に大阪へ帰る…というコロナ高リスクブチ抜き高速反復横跳びをキメていた。私は震えた。え、一般の人って危機管理こんなもんなの?そりゃ減らんわけだ、ガハハ…と、笑ってもられん現実を目の当たりにした。多分これで体調悪くしたら病院行くんだろうな、と思ったら、なんか力が抜けた。私は今は病院で働いてる看護師じゃないけど、とてつもなく脱力した。このフォロワーがいいか悪いかは置いといて。なんかどうでもよくなった。自分も無理せず好きなことしようと思った。医療従事者だけが我慢を強いられる世界線マジでクソ。ファッキュー。終わり。

看護師だからこそ身内介護にイライラする

病院で働きながらする看護と介護、自宅でする家族介護、そこに何の違いがあるのだろうか。そう、個人への思い入れと抱く感情の差である。

病院で見ず知らずの人間の介護をするのと身内の見知った者の介護をするのは精神的負担が大いに違う。

「家族のお気持ち」が入ってくるからだ。

私も身内が要介護状態で母が介護に日々馳せ参じている。私は参加していないので、表立って口出しすることはないのだが、明らかに「家族のお気持ち」が入りすぎて非効率的で負担の多い介護をしている。まあ、私は参加していないので脇から見ているだけなのだが。(ここでお前も参加しろよ、看護師だろ、という意見はスルーさせていただく。身内の介護をするために看護師になったわけではなく、あくまで私は仕事として看護師をしているだけ。勝手に介護要員に換算する部外者はお引き取り願いたい。)

例えば、「要介護の祖父を看ている祖母がお風呂に入っている間だけ、勝手に動かないように見張り番をする係」が必要なのだが、医療者の私からすれば、「え?抑制ベルト車椅子につけときゃよくない?」となるのだ。しかし、「家族のお気持ち」としては、「可哀想」だという。その「可哀想」なだけで、別世帯から見張り番を毎日出さねばいけないわけだ。なんとも時間の無駄な事か。他では、かつて入院していた病院と同じオムツしか使いたくないという「家族のこだわり」でわざわざドラッグストアなどで売られていない、その病院の売店にだけ売られているオムツを、オムツが切れる毎に往復1時間半ほどかけて買いに行かなければならない。なんということか。だいぶ前に業者に、市販されているもので同じ規格のものなら教えてもらったはずなのに、それは「家族のこだわり」で同じ病院で使っているものしかダメらしい。飽きれて物も言えなかった。まあ、私には関係のない話だが。

その「たくさんの家族のお気持ち」を押し付けられるレスパイト入院は私は大嫌いだ。

細かい要望を言ってくるし、ルーチン通りに物事が進まない。そんなに要望をつけるくらいなら、後生大事に家で囲っておいてくれや、とも思ってしまう。これが一医療職の本音である。批難結構、いくら叩こうが私の根は変わらないわけですし。

現に、私の周りにはこういう思考の人間が多い。

表ではにこにこ白衣の天使様を演じていようが、内心わかったもんではないのだ。

仕事なんだから、手がかかるよりスムーズに終わった方がよいに決まってるではないか。我々は奉仕の心に溢れた聖人ではないのだぞというのがこと「医療者のお気持ち」だ。まあ、仲には殊勝な心がけの看護師もいるので、全てが私のような看護師ばかりと絶望はしないでいただきたいが。人間、何事もなく、定時に仕事を終わらせ帰りたいのが普通だろう。医療者だからと言って身を粉にして働けと外野から指図される謂れはない。現に、昔にこういった内容を書いているからか、意識の高い医療職や非医療者の一般ピーポーに叩かれたことがあった。まあ、知らんが。とりあえず私の言いたい事はおおむね書いた。つまり、そういう話だ。諸々、何を言わんとしているか、汲み取っていただけるとありがたい。

看護業界への復讐と

フォロワーさんに、「わたしは復讐するために看護師を続けている」と言っていた人がいた。イマイチしっくり来なかったが、言葉を反芻する度に、なんとかなく意味がわかってきた気がする。

わたしも、復讐のためにこの現場に居座っているかもしれない。

と、言うのも、わたしは所謂新人期間からは脱した身だ。キッツイ新卒病院からもサクッと退職し、今のゆるめの職場に落ち着いた。わたしはよく体調を崩すのだが、休んでも電話口で怒鳴られない・表向きは快く休ませてくれる職場に大満足している。…一人、いびってくるお局ババアを除いて、だが。

新人期間、いびられにいびられ、同期以外全員敵という状態だったわたし。

まぁ、わたしが特別ということもないだろうが、辛い目に遭わされたことはやはり鮮烈に覚えているもので。こんなに人権剥奪委員会よろしく、滅茶苦茶にしやがって、今に見てろよ、という気持ちが存在するのである。

わたしを苦しめた業界からスッと逃げ出すのはもったいない。最前線に必要とされているところには行かないが、資格をフルに活用して悠々過ごすのはアリかな、ということで、のんびり働いている。新人は決していじめない。優しく話せる先輩ポジションで在りたいと思っている。下を育てることで、現場に新しい風が吹くとわたしは信じている。

凝り固まったウジ虫のようなお局ババアを排斥するには若い力をつけるしかないのだ。

わたしはいびりにて自分の経験年数を誇示しない。指導という名のいびりも断じてしたくない。そんなことしたら、クソババア様の仲間入りだ。わたしは、他人から死ぬほど憎まれたくはないのだ。わたしが元に、新卒職場とお局ババアを死ぬほど憎んでいるので。

いびられながらも、「コイツマジでいい死に方しねえな」と思ってやり過ごしているし、ブスでデブで性格悪いとかマジで終わってるな、三重苦、と思っている。

看護の世界に身を置き数年、わたしも嫌な染まり方をしつつあるかもしれないが、それでも正気を保ちながら生きていきたいと思った。

泣かしやがった。 

お局が新人を泣かしていた。

休憩中、新人のひとりがいる前で、

延々他のスタッフにあれができていない、

これができていない、と下品な口調で

語気を荒げて話していたせいだ。

近くにいた新人には丸聞こえ、

神妙な、居心地の悪そうな表情をしながら

話を聞いていた。

多分、今でも一生懸命やっているにもかかわらず、自分の不出来を責め立てられたことが重なり、泣いてしまったんだろう。

わたしが思ったのは、何故、目の前で、そんな話をしてしまうのか。決していい気持ちになるわけないではないか。そんなつもりじゃなくてぇ、ただ事実を言っただけ〜な気分なのだろうか。とことん、人間として終了していると思う。

何がすごいって、その話を新人のいない場所で再度はじめたことだ。言い足りなかったのか、まだまだお局の口は止まらない。ノンストップ・罵詈雑言だ。

こんなに他人を苦しめておいて、この人間は天罰の一つも降らないのだろうか。と思う。

天はこの女の悪逆非道を許し続けるのだろうか。わたしは報いを受けてほしいと思うし、何ならこの女、わたしを精神疾患でノックダウンさせた諸悪の根源でもある。

そして、この度新人をも泣かせる運びと相成った。本当にどうしようもない。こんなにも善性のカケラもない人間が存在していいのだろうか。どうかこの女にはこっぴどい目に遭ってほしいし、なんなら、いい死に方をしてほしくない。そしておそらく、死後は地獄行きだろう。わたしは確信した。なんならわたしが突き落としてやりたいし、魂を清めてきてほしい。心身一から改めてほしいなと思った。