看護師だからこそ身内介護にイライラする

病院で働きながらする看護と介護、自宅でする家族介護、そこに何の違いがあるのだろうか。そう、個人への思い入れと抱く感情の差である。

病院で見ず知らずの人間の介護をするのと身内の見知った者の介護をするのは精神的負担が大いに違う。

「家族のお気持ち」が入ってくるからだ。

私も身内が要介護状態で母が介護に日々馳せ参じている。私は参加していないので、表立って口出しすることはないのだが、明らかに「家族のお気持ち」が入りすぎて非効率的で負担の多い介護をしている。まあ、私は参加していないので脇から見ているだけなのだが。(ここでお前も参加しろよ、看護師だろ、という意見はスルーさせていただく。身内の介護をするために看護師になったわけではなく、あくまで私は仕事として看護師をしているだけ。勝手に介護要員に換算する部外者はお引き取り願いたい。)

例えば、「要介護の祖父を看ている祖母がお風呂に入っている間だけ、勝手に動かないように見張り番をする係」が必要なのだが、医療者の私からすれば、「え?抑制ベルト車椅子につけときゃよくない?」となるのだ。しかし、「家族のお気持ち」としては、「可哀想」だという。その「可哀想」なだけで、別世帯から見張り番を毎日出さねばいけないわけだ。なんとも時間の無駄な事か。他では、かつて入院していた病院と同じオムツしか使いたくないという「家族のこだわり」でわざわざドラッグストアなどで売られていない、その病院の売店にだけ売られているオムツを、オムツが切れる毎に往復1時間半ほどかけて買いに行かなければならない。なんということか。だいぶ前に業者に、市販されているもので同じ規格のものなら教えてもらったはずなのに、それは「家族のこだわり」で同じ病院で使っているものしかダメらしい。飽きれて物も言えなかった。まあ、私には関係のない話だが。

その「たくさんの家族のお気持ち」を押し付けられるレスパイト入院は私は大嫌いだ。

細かい要望を言ってくるし、ルーチン通りに物事が進まない。そんなに要望をつけるくらいなら、後生大事に家で囲っておいてくれや、とも思ってしまう。これが一医療職の本音である。批難結構、いくら叩こうが私の根は変わらないわけですし。

現に、私の周りにはこういう思考の人間が多い。

表ではにこにこ白衣の天使様を演じていようが、内心わかったもんではないのだ。

仕事なんだから、手がかかるよりスムーズに終わった方がよいに決まってるではないか。我々は奉仕の心に溢れた聖人ではないのだぞというのがこと「医療者のお気持ち」だ。まあ、仲には殊勝な心がけの看護師もいるので、全てが私のような看護師ばかりと絶望はしないでいただきたいが。人間、何事もなく、定時に仕事を終わらせ帰りたいのが普通だろう。医療者だからと言って身を粉にして働けと外野から指図される謂れはない。現に、昔にこういった内容を書いているからか、意識の高い医療職や非医療者の一般ピーポーに叩かれたことがあった。まあ、知らんが。とりあえず私の言いたい事はおおむね書いた。つまり、そういう話だ。諸々、何を言わんとしているか、汲み取っていただけるとありがたい。