アラサー女の分岐点?

看護女として、医療的な話をすることも多かったけれど、また今回は違った話もさせてほしい。わたしは所謂アラサー女にカテゴライズされる年齢だ。アラサーの定義は人にもよると思うけれど、26-33くらいまでかな、という感覚でわたしは使用している。(具体的にこの辺りはしっかり決まっているのだろうか?調べていないのでわからないが)

よくよく感じるのは、このアラサー世代、身に置かれている状況が各々違いすぎて、人間関係の変動も激しいように感じられる。今までも進学・就職・その他諸々。さまざまな機会にぶちあたってきたつもりだったけれど、そんなん目じゃない。めちゃめちゃ怒涛に揉まれている最中だ。

女、今やバリキャリ・おひとりさまなど昨今は自立しまくった強い女も出てきているように感じるが、わたしは最先端の大都会・東京に住んでいるわけではなく。過疎気味の片田舎で暮らしているので、看護師特有の平日の不定期休みに外に出かけてみれば、着飾っていない主婦やゆ〜っくり歩いている高齢者の姿が9割。そんなところに住んでいるので、流行りの価値観も入ってきているわけがなく、女は結婚しているかしていないか、結婚していれば専業主婦か共働きか、はたまた子供がいるのかいないのか、つまりまだまだ昔ながらの価値観で停滞している。わたしは田舎に住んでいる以上致し方ないことと割り切っているし、この土地はそんな感じで新しい風がなかなか取り入れられることなく終わっていくのだろうなという空気感がどんより漂っている。

そしてまた、この一つ一つの置かれた状況により、立場が全然違うのだ。

そしてその立場の違いによる考え方の違いで、わたしは数名の友人と縁が切れた。学生時代の友人たちと、だ。

最初、かなり病んだが今は仕方のないことと少し時間がかかったものの、自分の中に落とし込んだ。

そのエピソードを少し、聞いて欲しいなと思った次第だ。


わたしは決して短くない期間、交際している相手がいた。相手の奨学金返済が終わってから結婚するという話は昔から決まっていた。かといって、何かあれば別れもするだろうし、口約束だし、確約というわけでもなかったが、別れることなく婚約するに至った。1年ほど前から婚約の話は徐々に具体性が出てきていて、病棟勤務の影響でよくある精神的不調をきたしており、わたしは奨学金を借りていなかったこともあり、そんなに無理することはないか、と転職時非常勤として働いていたのだった。

婚約の話をするため、いざ看護学校時代の友達に、久々に連絡を取った。コロナ禍で、わたしは割とまともに自粛をしていたので、友人たちとは丸々2年近く会ってはいなかった。親族に自宅介護されている高齢者がいて、母親が定期的に介護の手伝いにも行っていた、という関係もある。(看護師だけど、わたしは仕事柄不特定多数と関わるから、という理由でコロナを気にした親族から出禁を食らっているので、介護には関与していない)その友人は、割とコロナ禍でもガンガン歩き回るタイプで、あんまり罪悪感もなさそうで、なんとなくわたしはいい思いをしていなかったが、これは各々の価値観の違いということで飲み込んでいた。

そうして連絡を取っている最中。

「今何で働いてるの?パート?」

いきなり前触れなく、そう投げかけられた。ちなみにわたしはまだ婚約の話をしていない。

今はパートだ、と伝えた。ちなみに彼女は、前に病気をした関係もあり、2年以上派遣で働いていた。未婚で、恋人の話も聞いていなかったので、多分今もフリーなのだろう。

「ふーん。何のしがらみもなくて楽よな。私も一生パートで気楽に働いてたい。まぁそのうち就職するけど。」

コイツマジで言ってるか?そう思った。

結局言葉が出ず、婚約の話も出来ず、会おうとするのは隣県の都会ばかりだったので、会う約束もせず、そっとブロックした。

この人とは、この人生ではもう関わりたくないなと思ったからだ。元々自分語りの多い自分の苦労自慢が多いタイプだったが、アラサーにもなって、しかも彼女わたしより年上なのに、まだそんなマウンティングみたいな真似する!?という「人間的成長できてなさ」に愕然としたのもある。アラサーはそういった、人間レベルのズレを感じる分岐点なのかもしれない。

そして歳をとって社会に揉まれて、「プライベートくらいは優しくて柔らかい、傷つかない環境に身を置きたい」と考えるようになったからか。若さゆえの血気盛んさは徐々に削がれてゆき、穏やかで胃に優しいものを欲するようになってきているというのもあったのかもしれない。ただでさえ看護師業、あらゆる魑魅魍魎と相対して疲弊することが多い。同僚や仕事仲間も場合によっては敵にもなる。気疲れも多い。後,学生時代より社会人として働いていることによりそういった大人意識も、数年社会に出てきているというのもあるだろう。

それ故に、子供っぽさ、配慮のできなさ、諸々が許せなかったのかもしれない。図星で痛いところを突かれたから、と思っていただいてもかまわない。立場がまちまち変わっていくことによる他人とのズレが決定的になった。それが出やすいのが、このアラサー世代。そう感じた。だって,今までこんなに派手なともやめ案件なんかなかったのだから。ひとまず、わたしがわたしを一番幸せになれるように、生きていきたいなと思っている。他人は、無条件にわたしを幸せにはしてくれないのだから。