見切りをつける仕事

看護師をすることによって、仕事以外の自分は絞りカスのような状態だ。感情や体力、精神力、すべてが削がれた状態。なににそれらのパワーを使ったかと言われると、鳴りやまないナースコール、使用人のように使ってくる患者、ヒステリーじみたお局、いつでもやってくる緊急入院、意味も分からず徘徊し出す患者、転倒する患者、口やかましい家族、認知症の実際に起こってもいない虚言じみた訴え。その他諸々。看護師の皆さんなら、すぐにピンときてくれるはず。

現場で働いているからこそ、きっと看護師は優しいはず。おせっかいに世話を焼いてくれるはず。それらすべては幻想です。その幻想、打ち砕かせていただきます。(そういえばとある魔術の禁書目録3期おめでとうございます。1話みました)

現場で嫌なところ、汚いところをたくさん見ているからこそ、実は看護師は残酷な職種でもあります。「自分はこうなってまで生きたくないなあ。わたしはさっさと死のう~」とか平然と思う訳であります。後、「お金が無いから施設は安いところで。自宅では働いていて無理だから」とか言われると「お前の金銭事情とか知らねえ~働いてるとかいうのもわたし知らねえ」とか思います。

介護については何が正解かわかりかねます。施設で業務通り介護されるのも棄てられた感満載で嫌だし、自宅で家族に介護してもらうのもめちゃくちゃ家族の人生搾取してる感が異常だし、普通の感性していたら申し訳なさすぎませんか?結局自分が弱った時に、誰かの手を煩わせるってめちゃくちゃ嫌なもの、っていうのが医療者は理解しています。だから理想の老後は、自立できなくなったらさっさと死にたいっていうのが本音だったりするのです。在宅がいい?療養病院がいい?施設がいい?う~ん、わたしは即死!って感じ。結局患者をOOできなくて可哀想でしょ!助けてあげなきゃ!って目で見る人って、そのつもりはないのかもしれないんですけど、無意識下で人類として下の存在として見ているんですよ。自分より下だと思うからそう言えるし、助けを求める時点でわたしはあなたより下の存在ですって認めてるんですよね。それがわからずに一般人も、一部の医療者もやっかんでくる。なんだこいつって感じです。生きるってそんな大事なことですか?って思ったりもします。何故そこまで生きる事に執着しようとするんですか?って感じです。ちょっとわたしには理解できません。死生観がちょっと違うんでしょうね。もっというと、身内の祖父が死のうが要介護になろうが、「その番がきたんだな」って思って泣いたことはありませんでした。年齢でいうとうに前期高齢者・後期高齢者と呼ばれるようになっていて病気で死んだ、要介護になった。一般的にはとてもよくある話です。なのに、どうして身内となれば「うちは大丈夫だと思っていた」とか「なんでこんなことに・・・」と言った風に言えるのかな、と思います。身内というフィルターを外して見れば、ただの老人なんだから、そりゃ病気にもなるだろうし、死にもするだろうよ、と思う訳です。そこを割り切れないのが人情というものなのでしょうか。わかりません。なので、有象無象の患者家族がそういったことを言うのを聞くと、「よくある話だなあ」と思います。ええ、本当に、どこにでもある、よくあるお話を聞かされてるわけです。でもわたしから進言させてもらうと、現実から目を逸らさずにやっぱりちゃんと病気になったりする前にできる対策はあるわけなので、検査とか生活習慣の見直しはしっかりやっといた方がいいと思います。大事に至るリスクは減るので。変な病気で変に生き残るリスクを減らすに越したことはないと思います。病院に運ばれてしまったら、意志を伝えられる自分や家族がいない限り、とりあえず、で救命されちゃうので。命を取り留めることが美徳とされていますが、わたし、その生死の間際でちゃんと死んでおいた方が楽だったんじゃないかなあ、って例をたくさん見ているので。自分の生き方と死に方は、元気なうちに自分で決めたいですね♡みなさん♡