憎しみの果てに

なんて平和な世界を、他の人は生きているんだろう、と考えてしまう時がある。

看護師をしていたら、看護師としかいられなくなる。よく聞く言葉だ。それは単に、仕事の休みが不定期だから、同じく不定休の看護師仲間としか遊べなくなるよ、という意味合いのみに受け取っていた。

しかし、最近これは違うと自覚するようになった。考え方や思考まで、一般職の人とは一線を画してしまって、同じく同じ環境に身を置く看護師同士でなきゃ、価値観の共有ができないのだ。


看護師は特殊な職業だ。古い閉鎖的な未だにルールがまかり通る女社会。他人とぶつかり合うことも多々あり、過剰なまでに責任を求められる。それ故に同僚や先輩からキツく当たられてしまうことも少なくない。死を間近で経験すらする。感情をふんだんにぶつけられることすらある。そんな中に身を置く私たちは、謂わば、戦場慣れしてしまった存在なのだ。極端な話、戦争経験をした兵士。他職種の友人はもちろん戦争の経験などない。兵士と戦ったことのない一般人。価値観や考え方が合うはずもなく、兵士は兵士としか真には仲良くなれないというわけだ。

戦場の話を、一般人は理解できないのだから。どれだけ熾烈な環境に身を置いていたか、今までどれだけの修羅場をくぐり抜けて来たか。そして一般人との違いは、メンタル力の差。自我の強さ。それまでの経験からわたしたちは圧倒的に自分の考えや精神力が強くなってしまっている。願はくばわたしたちだって血生臭い戦場に慣れたくなんてなかったが。なので、看護師は気が強い、我が強いと称されてしまう。わたしなんて下っ端気質、まだまだ歴戦の看護師様たちに比べれば、染まり方はまだ浅い。なのにも関わらず、一般人と圧倒的にズレを感じたことがある。あぁ、もう自分は染まってしまっていたんだな、と思った。

一度足を踏み入れたら最後、この特殊な環境に染まった体は元には戻らないのだと悟った。

わたしはもう、看護師以外の友人とは完全には理解し合えないんだろう。

なにせ、立場が違いすぎる。仕事の重さが違う。感性も違う。戦場を知った兵士は、平和な世界は息苦しすぎるのだ。