果てにある感情

ツイッターで好き勝手呟いているのですが、長文でぶちまけたい気持ちが強くて衝動的に開設しました。


わたしは看護師。白衣の天使という名称で呼ばれる職業の女ですが、その実、腹の内はドロドロと憎しみと怒りとやるせなさ、無力感と無気力、諦めに近い感情を波に乗せ、ぐるぐると自分の中を駆け巡るような中、働いている。


じゃあ辞めれば?何でなったの?

そういう単純なお話しではない。

わたしはものすごくなりたくて選択した職業ではなかった。所謂生きるための手段として選択したクチ。

でも本当になりたくてなって働いている人の中にもわたしのように凄まじい感情を内に秘めて働いて、病んで、辞めて…を繰り返す人々の多さよ。

結局、なってしまった、選択してしまった人間の戯言にはなってしまうのだが、あまりにも医療界と看護業界は、スタッフの犠牲の上に成り立ちすぎている。

前残業、後残業、委員会活動、病棟係、通常業務に加えて急変にエンゼルケアー、家族の訴え、患者の頻コール、転倒転落、緊急入院にオペ予約入院、看護サマリーに入院診療計画書、挙げればキリがない。

とにかくとてつもない仕事をこなすことを求められている。バーンアウト燃え尽き症候群により急に現場を離れてしまう熟練の看護師もいる、あまりの熾烈さ、責任の押し付けに耐えかねて逃げ出す新人看護師もいる。

しかし、看護業界は変わることをしない。

患者はいるものだから、仕方ない。

そういう仕事なのだから、仕方ない。

なる前からわかっていたことでしょ?

そういって、使い捨てにされていく。

ある日、頑張っても頑張っても、あくまで自分は業務を回すための駒なんだな、とふと考えることがあった。どんなに頑張っても、体に不調が出ても、体を引きずって仕事に行っても、あくまで、仕事を回す駒が揃っただけ。それが全てなんだなと気づく瞬間があった。行かなければ非難轟々。どうしても嘔吐がつづき、クリニックで点滴までうったが、師長に「午後から来てもらうことも考えてもらわなきゃね!」と電話口で怒鳴られたこともあった。後々、他の先輩から、「またあの子、しんどいふりをしてるわ。」と師長が病棟で話していたよ、と聞いた。まぁそれはとっくに辞めた後の話でしたが。

なにが怖いか。病人をみながら、優しい顔をしながら、優しい声かけをして、その振る舞いを求めながら、スタッフのことは、1ミリも考えていないのが看護師という生き物だ。

恐ろしい。同じ人間とは思えない。

そんな看護師という生き物が多数存在する魑魅魍魎たちの中、今日もわたしは人生の1日をこの仕事に捧げている。

わたしはわたしを苦しめる、患者と看護師が大嫌いです。全員死んじゃえ。わたしも死ぬからさ。