立ち止まって振り返って

ブログで思いっきり看護師として普段は言えないことを吐き出して、実はその後の看護師労働するにあたってよかったなあと思ったことがある。

毒気が抜けた、というか、憑き物が落ちたように、穏やかに最近は仕事ができている。

不用意にいらいらすることもほぼなく、ここ数日であるが過ごすことができている。

細かく患者をみるようになったし、声掛けだって増えた。タッチングも頻度を増やすようになったし、笑顔もより自然に出せるようになった。

たくさんの共感を貰えて安心したし、自分だけがこんなドロドロした感情を抱えていたのではない、と思えたし、逆に非難の意見も一理あるものもあって、患者と関わる時に思い出して自分自身を振り返るきっかけにもなった。考えさせられる機会にもなって自分にとってブログを書くことはとても有意義だったなあと思えた。

わたしだっていつでも敵意剥き出しであったり、常に絶望を身に纏っているわけではなくて、よくいる普通の看護師として正しく病棟で立っていることもある。あくまで多様な側面がある中の一面にしかすぎないことを、皆さま理解してほしい。もちろん、言わなくても同職者さんは理解してくださっている方もいるとは思うけれど。

まあ、一度ついた印象はなかなか消えないだろうし、拡散されたスクリーンショットしか見ていない人たちもいると思うので、まあそういう人たちにはわたしは醜悪な看護師と思っておいていただければよいだろう。やべえ思想の看護師がいて怖い、くらいに思いいつか忘れられるだけの出来事。まあそこで終了しておいてくだされ。さようなら。

それと無駄に意識高い看護師さんとも合わないので、おさらばしたいところである。

意識高いコミュニティでよろしくしてくれよな。グッバイ。

 

実はブログのテーマを募集していて、「新人看護師」についてお願いします、とリクエストをいただいた。新人看護師時代の事を振り返ると、まあ、緊急入院にペースを乱される、新しい技術に四苦八苦、そして、先輩看護師たちにいかに怒られないか、ただそれだけを考えていた。少しのミスを自分で見つけた時は頭をフル回転させて隠ぺいできるか否か、できるなら自分で抹消、できないなら早急に報告する。を繰り返していた。お陰でミスもきちんと報告できる子、と一応評価されていた。

やはり、新人時代は誰しも辛い。勉強、早めの出勤、時間外の勉強会、病棟会議、医療安全会議、受け持ちのプランを考えること、等々。体調不良もガンガン起こして師長に怒られ倒していた。体調管理を、社会人としての自覚を。あなたたちは代えはきかないんだから。うるせえ、今まで生きてきた中でとんと生活のリズムが変わってんだ、それにこのストレス負荷。せめて慣れるのに時間をくれ。毎日苦痛だった。死にたいが口癖だった。電車に飛び込もうかなといつも思った。虚ろな目をして出勤していたし、退勤時は次の勤務に怯えるように帰っていた。家でいる時はああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、と、始まる前からいろいろ考えて自分自身を追い込んでいた。

ただ、新人時代にいた部署は、自分のアイディアと介入が「それがあなたの看護」と尊重してくれていた部分は少しありがたかったと思う。今の部署は、この行いが全て正しい、確立した一つの答えしか認めない、という圧力しかない。まあ、仕方が無い。どこの部署にもいろいろあるのだし。

総括すると、やはり新人は辛い。ある程度は我慢するほかない。学校あがりの看護師界隈世間知らずなんて叩かれて揉まれるしかないのだ。ああ無情。1年経てば次の新人に先輩たちの目が逸れるのでまあまあ楽、しかし先輩になる、というプレッシャーもあるし、まだまだ何もできないのに、と不安も押し寄せる。結局いつまで経っても悩みは尽きることは無いのだ。個人的に、3年目の看護師はイキリナースが多い印象だ。皆さんの部署はどうだろうか。3年目を終えると奨学金完済云々で穴が目立ち始めるし、5年目以降は落ち着き出すイメージだけど、そのくらいになれば結婚産休育休故郷へ帰る、とかで人数があまりいない、それより上はベテラン。皆の部署もそんな感じだろうか。