度し難い人生

自分の思うように人生が進んだ事なんて振り返れば一度もなかったような気がする。

いつだって理不尽だったし、いつだって自分の想像とは違った結果になっていた。

ただ流されるままその時々事なかれ人生だった。自分の人生、大抵が人に選択を任せてその結果に今がある、といった感じ。他人に自分を委ねるのは楽だ。いざとなったら他人のせいにできるのだ。選択枝を間違えても、いつだって振り返って違う道を歩むことも可能であるはずなのに、羽を捥がれた鳥のように、おそらくあまり良い選択肢じゃない、他人が示唆した選択肢でジッと留まってしまうのがわたしの悪い部分である。自分で選び取ることができない人生ここに極まっている気がする。自分は自分のために生きているはずなのに、いつのまにか自分は他人の目と考えで生きていることに気付くことが多い。成人女性にもなって恥ずかしいと思うが、徹底的にわたしは自尊心が低い。自分に自信が無いのだ。自分の一時の感情や考えより、他人の言う事がより正しく感じてしまう。自分の意識がきちんとあっても時間が経つ内に、うんうん考えているうちに、本当にそれがいいものなのかあやふやになってしまう。自分は一体、どこにあるのだろうか。

看護師だって自分で選び取った選択枝ではなかった。敷かれたレールを歩んでいるだけだった。明確に、自分には向いていなさを感じる反面、資格を取ったのだから、労働をする場所やスタイルが「急性期」の「病棟勤務」の「常勤看護師」では向いていないだけなのではないだろうか、もしかしたら、通用する十分にこなせる場所があるのではないか、と看護師でいようとしてしまう自分が憎らしい。

先輩看護師に言われたことがあった。「今、ここにいるということは、貴方が自分で選んだことになるのよ」という言葉。まさにそうなのだ。過程はどうあれ、そこに存在するという事は自分の意志で決めた事に他ならないのだった。

怪しいながらに学生生活を終え、働き出して不調を起こしている、この時点で諦めるべきとも思う。もう、わたしには無理なのだと、スパッと決めてしまえるほど、気前のいい人間ではないのだから。

悩んで悩んで、立ちいかなくて、人生うまくいかない。

皆この立ちいかなさの中で毎日生きている。そう思ったら、素直に人間、すごいなあと思う。そして、看護師、すごいなあと思う。

中途半端で、自分で決められなくて、その時々で生きている自分。

皆悩みながら生きていて、なんとかそれと付き合って生きている。

わたしもうまく人生と付き合っていきたい。

なかなか実際には難しい事だけれど、そうやって生きていきたいなあと思う。

いびってくるお局看護師、なんでもありな病棟、空気の読まない新規入院、うまくいかない処置、突然の欠員、本当に全部が全部うまく進まない。

思い通りにならない日々の中、低空飛行のまま、今日もわたしはひっそり生きている。

まったく毎日毎日、悩み事だらけの人生である。