弾かれた者と壊した者

いじめた当人は責任をとらず、のうのうと生きていく。いじめ問題がメディアで取り立たされる中、そんな感想を抱く。きっと表面上の反省を示して、その後徐々に忘れて行って、普通に人生を送る。いじめられた側は忘れられず、成長する過程で何らかの困難感を感じたり、個性に暗い影を落としたり、なんなら心療内科のお世話になりながら生きていくことになったり。なぜいじめ「られた」側がそんなに嫌な事ばかり抱えて生きていかなければならないのだろうか。そう思う。

働くようになってからもそうだ。わたしは端的に言えば、お局看護師に「いじめ」を受けたのだ。そして、薬に頼らなければ、職場から離れなければならなくなった。看護師としての仕事に特に未練があるわけでもないが、ただ生活していくにはお金がいる。働く手段をいわば封じられてしまった。とても困る。その間給料がないのだ。とても困る。かといって、ある程度休んでそこから働けるのか?周りの目は?口には出さなくてもそういう目で見られてしまうだろう。ああ、メンタルもち・・・。そんな偏見。医療現場だから寛容なわけではない。むしろ、うまく動かなくなったピースには厳しい。そんなものだ。そして業務量は変わらないだろう。出てきたのだから、さあ、働け。業務負担軽減などはない。緊急入院が変な時間にきても、入院をとらされるだろう。残業もしなければならないだろう。シフトによっては連勤も続くだろう。そんなものだ。そんなものなのだ。しかし、わたしに決定打を。とどめを刺したお局は、今もなおのうのうと働き続けている。ドンのように、堂々と。えらそうに。我が物顔で。病棟で振る舞っているのであろう。切られていくのはどうしても年数が浅い者。いじめた側にどんな問題があろうとも、「病棟により貢献する者」を選び取る弱肉強食の世界。弱い者は蹴落とされていく。そういう世界だ。むしろ、欠け落ちる者さえ「もったいない」から、引き留められることもあるだろう。人間関係など関係ない。引き留めさえしたら勤務を被らせる。もう関係ない。居ると約束させたのだから。そんなもんである。

何の仕事をしていても所詮はただの歯車の一部にしか過ぎないのだから。看護師であろうが、会社員であろうが、もうそんなもんなのだ。それが世界。日本社会。脱落者には厳しい。切り捨て御免な社会なのだ。なので潜在看護師や、一線を退いてしまった看護師も数多く存在する。取った資格がもったいない云々の問題ではない。退かざるを得ない理由が個々にあったのだ。辞めるに至った様々な苦悩、葛藤、金銭問題。全て抱えて、皆自分たちの地獄を後にした。そこに一つ一つの物語があった。わたしにも、外野にも詳細は知る由もないけれど。

そしてわたしは看護師業界、病棟の世界から弾かれてしまった。これからの見通しも立たない。暗闇の中で、歩き方ももう忘れかけてしまった。わたしはわたしをこうしたお局看護師を許さない。衝動的に殺してしまいたいくらいだ。それほどの憎しみを人に抱かせ、のうのうと生きているお局看護師。いつかあのババアに手酷い目に遭ってほしいものだ。彼女の不幸を祈りながら、深淵の中で静かに、佇んでいる。