暗黙のルール

看護師をしている友人たち二人に、何歳まで生きたい?という話をする。

友人の一人は「ええ。そんなに生きたくない。自立の間に死にたい」

もう一人は「さっさと死にたい。40歳くらいで死にたい」

だいたいは自分の身の回りのことは自分でやりたいという人が多数派なのではないだろうか。と、なると極端な長生きは・・・という話にもなってきてしまう。

まあ、100歳を越えてもだいたい自立のスーパー高齢者も存在するのもまた事実なのだけど、それは少数派なので。年齢で自立度やADLは語れないなあ、というのもまた現場を見ていての素直な感想です。

 

長生きして訪問介護訪問看護を使いながら家族と家で過ごしたいなあ、という老後プランが何人か友人たち以外の職場の看護師からも出たことはない。大抵はにごして、「健康は大事だよねえ。歳とるんだったら」とか「自分の時はどうなってるのかなあ」などと言った返答だった。現場で働いているからこそ、高齢者になった時のイメージがついてしまい、簡単には言えないのだろう。例え、自分の中で思っていることがあっても、看護師は口に出してはいけない、暗黙の了解めいたものを空気で感じる。今現在、そういった場に立ち会っているからだ。口に出してしまうと、現状を否定する、もしくは肯定することになってしまう。それは望ましくないと皆わかっているのだ。

切ないなあ、意見を言う事すら周りの目を気にしなくちゃいけないなんて、と思う。

でもそれが今の世の中の在り方なのだから合わせてしまうのは仕方ない。結局、そこから先は停滞したまま。このままなら何年も先、何十年も先も、このまんまなのだろう。

それがいいのか悪いのかは、読んでくださっているみなさまの考えに委ねたいと思う。

ただ、元気に今を生きる事ができている間に、もし、動けなくなったら、大きな病気をしたら、という「もしも」のことは、考えておくべきことではないだろうか。少し家族と話をしておく、考えを話しておくだけでも全然違うと思うのだ。

わたしたち医療者は日々考えさせられ、苦悩を重ねている。少しでも、今を生きる医療とは離れたところにいる方たちに考えてもらえるのならば、わたしも一文字一文字ブログを書いて報われたなあ、と思えるので。まあ、なかなか現場は変わらないという事もよく知っていますけれども。