閉じた世界の中で

狭くて息苦しい。若手看護師には人権は無い。積極的に体を動かして、ナースコールを取ってベッドサイドへ行って、先輩から用事を分捕るようにしてまた動く。お昼の休憩は規定の時間の半分も取れないこともあるが、それが新人。悠長に休憩を取ろうものならば先輩方の無言の空気感が突き刺さる。余裕があっても居心地の悪い休憩室からさっさと出ていく。残業はして当たり前。一番遅くまで残るくらいがなんだかんだ先輩方のポイントが高い。(口では「早く帰りなね」などと言っていても)業務が終わったら、病院の付属の図書室で資料を集めたり、業務時間内で引っかかったことを調べる。帰宅時間、ご飯、風呂含めて2時間くらい。それ以外は日付が変わっても勉強する。そして次の日は1番乗りで職場へ乗り込むのだ。就業時間の1時間前の7時半頃には確実に病棟へ。急いで必要な情報シートを印刷して直近の血液データや検査データを見て、経過表を見て、バイタルを見て、看護記録をみて・・・。

そんな毎日はやがて限界が来る。メンタルに来たりフィジカルに来たり、まあ人によるのだけど、どこかしらに不調が出てくる。

わたしは看護師の仕事は救いのない仕事と捉えている。結局どこまで「自分」を殺して奉仕に近いことをできるかという点に関してだ。患者は「客」だ。

立場として面倒をみさされる相手より「下」クライアントは患者だけではなく「患者家族」も含まれる。こりゃまた厄介で仕方が無い。素直にやかましいのだ。ベッド数に決まりはあり決まった人数しか存在しないが患者家族が来訪すればその規定人数がオーバーするのだから、追加で料金をいただきたいレベルだ。ああだこうだとえらそうに指図するタイプの家族に関しては。

親身に接する「ふり」はすれど、その実、患者も患者家族もどうだっていい。結局はパフォーマンスなのだ。仕事だからやっているに過ぎない。町の外で出会おうが、勤務時間外に出会おうが、そこでは「患者」と「看護師」の関係は成立しないのだから、気にも留めずにスルーする。相手が気付いた場合は会釈くらいはするかもしれないけれど。

ただ、病院外でその患者が死のうがもはやどうだっていい。でも病院内で死ぬのに関しては関係ある。何故なら、翌日にまた入院がとらされるな、厄介な患者なら嫌だな、とか考えることがあるし、何より自分の勤務帯に当たれば最悪だ。死後処置に入らなきゃいけないし、大幅にスケジュールを狂わされてしまうし。余裕のない看護師は、一つ一つの出来事はすべて厄介ごとだと思うのだ。何事もなく、状態に変化もなく、うるさい家族もこない。ナースコールもほぼなくて、平和な勤務。そんなことは年に数度あるかないか。実際は認知症で同じことを何回も何回も聞いて同じところをぐるぐる回っているジジイやニコニコ笑顔でさっきまでメシを食っていたのにメシを食ってないと怒り出すババア、謎に意識が高い患者家族(じゃあ全部お前がやれ)等たくさん存在する。

在宅様は在宅様で家族が無駄に意識高すぎて本当に入院してきたら無理です。

本当に発狂しそうになるが、ここがそういう場所なのでしかたない。友人曰く「動物園」らしい。言い得て妙である。

後再三言っているけどお局看護師の存在。自分の思い通りにならなかったら怒り散らかすタイプの人種。あれもガリガリ精神力を削ってくる。大抵性悪が顔に滲み出ていて顔で自己紹介してくれている。後、大抵ツリ目かデブかブスか160cm以下のチビ。むしろその併合型。これは経験則です。

なんだかもうわたしは疲れてしまった。他人の世話をするにはまず自分が健康でなければならない。いつまでの自分は健康だったんだろうと思う。看護師になってから使い潰されるばかりで、もうわからない。ただ看護師をしていたら遅かれ早かれ健康ではなくなるというのははっきりわかる。とりあえず自分の「健康」のために今はゆっくり眠ることを大事にしようと思う。看護資格を取得してしばらく経つけれど、わたしは看護師と言う仕事に、希望を見出せないでいる。