自分資本主義のすすめ

希望に満ちて、本当に憧れて憧れて念願の末に看護学校入った人は一体どれだけいるのだろう。そしてその中で情熱を持ち続け、邁進している人は一体どれだけいるのだろう。

まぁ、わたしは望んでなったわけでもないし憧れてもいなかった。強いていえば資格が、肩書きが欲しかったのかもしれない。

自覚も覚悟もなにもないまま、この看護三千世界に足を踏み入れてしまったのだ。

一度踏み入れたらなかなか出ることができない。一種のホラー映画さながら、なかなか抜け出ることはできない。

逃げたければなりふり構わず、全身全霊で、他の人間を蹴落としてでも、自分だけでも走って逃げる。それくらいしなければ、なかなか逃げ切ることが不可能。デッドオアアライブな世界なのだ。


先日、一年目看護師の親族がつぶやいた自殺ツイートをみた。

まぁ、無理もないなと思った。右も左もわからない、か弱い一年目に苛烈な指導。行き過ぎた罵倒。目の前にはいつ死ぬかもわからない弱った患者。ガリガリと精神力を削る日々。みんな、覚えはないだろうか。自分の一年目時代のことを。大なり小なり、看護師界の手厚い洗礼を受けたのではないだろうか。わたしは少なくとも覚えがある。普段は思い出さないように、無意識下で押さえ込んでいるようで、思い出すには少し時間がかかるけれど。まだそう遠くない、昔の話であるはずであるのに。

なにが面白いって、病院も加害者も認めようとしないところ。腐った病院体制が垣間見えるではないか。そうした見て見ないふりで、何人の初々しい看護師が看護師生命を絶たれていったことか。きっとわたしたち、あなたたちが病院をパワハラまがいの仕打ちで退職・休職しても、きっとなにもなかったかのように回り続けて、根性がなかった新人がまた辞めたわ。今の子は堪え性、ないのよね〜と笑い飛ばしながら業務をしているのだろう。古い体制は変わらない。腐った内部は変わらない。わたしたちが嘆いてもその実、実態はなーんにも変わらないのだ。悲しいかな。

だから、せめて早く逃げ出してほしいな、と思う。追い詰められれば追い詰められるほど、自分の視野は狭くなってしまうし正しく物事を見れなくなってしまう。自分が悪いと自責的になってしまうし、どんどん自分で自分の首を絞めてしまう。

患者より、病棟を回すことより、師長の言うことより、まずは自分を大事にしてほしい。

自分が健康じゃないのに、患者の看護はできないし、病棟なんてまわせない。それは確実だし、ポロポロミスをして怒られてますますしんどい。まずは、自分。自分資本主義で生きていってほしい。医療者だって体調は悪くなるし、精神は病む。医療者だから自己管理をしろしろと言う輩は無視だ。わたしたちだって人間だ。完全無欠のアンドロイドではないのだから