気怠さと共に

どうしようもなく力が入らなくて、仰向けになって天井を見上げて、時々寝返りを繰り返しながら過ごすことしかままならない日が存在する。自分だってそんな無意味な時間の過ごし方、できることならしたくない。でもそれしか出来ない、せざるをえないほど、心のエネルギーがすり減っていて、エンプティ状態になってしまっている日がある。

それがいつ来るか、自分じゃあまったくわからない。起きた瞬間、察するのだ。

今日はあんまり体調がよくない、と。

体調気分ガチャ星1を引いてしまった日がこれだ。大体、月に2.3回くらいこのスカを引いてしまう。しっかり休んで寝て、ようやく少し回復して、また次の日のガチャに挑むのだ。そうしたら、前の日よりほんの少しいい体調を引けたりする。

自分の体調や気分の機嫌くらい自分で取りたい。もちろんそう思う。子供じゃないし、甘えている場合でもない。しかし、身体はそうはさせてくれないのだ。悲しいことに、こうなったきっかけは、皆様ご存知、看護師労働。元の正常を異常に見事に組み替えてくださった。憎らしくてたまらない。しかし、現実問題、看護師資格以外持ち合わせていないわたしは、これを使って日々金銭を稼ぐ他ないのだった。

今更違うことに奮起する気もないし、いいんじゃないかと、これでいいような気がしている。とりあえず働いて金が欲しい。以上。慈愛の心も奉仕の精神も、自己犠牲の理念すら持っていない。仕事とはそういうものだけど、職種により大衆からのイメージが出来上がってしまっているのだけはいただけない。

別にお前らが死のうが生きようがどうでもいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、死ぬなら医療ミスだとか騒がれかねない対応中の死じゃなく本人要因で死んで欲しい。以上である。

なぜ毎度こんなことをブログにまとめるかと言うと、世間にただ恨み辛みをぶつけたいだけである。また、少数意見かもしれないが実情をちょっと吐き出したいのだ。しかし私の意見を曲げようと奮起なさるのはいただけない。無駄な努力だ。徒労に終わる。何を言ってもわたしもあなたも何を変わらないのだし。

本当に日々無意味に感じる。1人を退院させてもまた新しい誰かがやってくる。満員御礼大繁盛だ。情報収集は怠い。個別性?どうでもいい。70-90代の患者ばかりで飽きた。見分けはつかない。似たような疾患ばかり。本当にどうでもいい。また退院してもやってくる。家族も本人もそれでいいのだろうか。

そんなことを思うけどやはりどうでもいい。

一生同じことを繰り返しながら、今日も病院は動いている。病院に休みはない。お盆も正月もクリスマスも関係ない。今この時間にだって、夜勤看護師がいる。詰め込まれた夜間患者の世話係として。正直、夜勤の時は、日勤が終わったら一斉にみんなで帰ってしまいたい気持ちに狩られる。後は自己責任で、朝に死んでたらその時ドクターを呼び死亡確認しますので。他人のために他の誰かを犠牲にする時点で、破綻している気しかしない。口に出したら咎められる。ご立派な倫理観で。

じゃあお前が全部やれといいたい。今日この頃だった。