フレッシュマインド

1年目の新人看護師の頃、夜中には中途覚醒して過呼吸を起こす、朝6時台に目覚ましをかけて、重だるい身体と気乗りしない心を、なんとか誤魔化しながら無理やり引きずりながら出勤する。電車の中では覇気のない表情をして、どんより、という効果音がぴったりなしみったれたオーラを纏いながら、職場のある駅に着くと一分一秒惜しさに足早々に病院に向かう。ため息を吐きながら白衣のユニフォームに袖を通し、着替え終わればロッカーの前で2.3回深呼吸してから病棟に向かう。この段階で、何度行きたくない、仕事を辞めたいと思ったかわからない。

出勤してからは始業時間、夜勤から情報を申し送られる時間ギリギリまで、逃していない情報はないか目を皿のようにしてすみずみまでカルテを見通す。途中でわからない言葉があればその場で確認する。申し送りで師長や主任、ベテランの先輩方につっこまれないように、できるだけわからないことは潰していく。緊張して震える手足。頭が真っ白になりながらも、自分が書き込んだ情報を元に患者について話していく。それが終わったら、1日がやっとはじまる。長くて、地獄の日勤がようやく幕を開けるのだ。


わたしは看護師1年目だったのは数年前のことになる。今、「1年目の時って、どうだった?」と聞かれても、その記憶を思い起こすのに少し時間がかかるだろう。

あの時、あんなに苦しんだ日々。わんわん泣き、1日1日地獄のような日々が、数年前のことなのにも関わらずに、早くも過去のものになってしまいかけているのだ。

どんなにわたしがかつて苦しんでいても、それを思い出して言葉を紡いでも、今現在、苦しんでいる新人看護師たちの気持ちは、今や100%理解することはできないんだろう。新人の気持ちはその新人にしかわかりやしないし、同じ立場のものでさえ差異があるのに、もはや年数を積み、勤続年数としては若手、または中堅になりつつあるわたしとは決定的に違ってしまうんだろうな、と思う。

好かれる先輩になろう、とか、良い先輩になろう、とか、そんな高慢なことは考えてはいないけど、せめて自分が新人の頃にどんな先輩がいたら助かったか思い出しつつ、まだなにかを聞きやすい先輩になりたいなと思う。

間違っても過度にストレスを与えたり、いびってくる先輩、怖い先輩にはなりたくないなと思って新人に接している。

幸い、新人は緊張した面持ちであったり、余裕のない表情を見せたりしていることはあっても、話しかけて表情を強張らせたり、無理な負担をかけている様子は見られない。

内心どう感じているかなんてわかりやしないが。

年数を重ねると、どうしても新人のアラを見つけてしまうことはある。わたしが彼女らと違うのは何か。ただひとえに経験の差だけだ。その彼女らより少し早く働き出して、経験したかどうかの差だ。なので、たくさん経験して、たまには尻込みしながら立ち止まりながら、成長したらいいよと思っている。

え?と思っても態度には出さずに、自分が余裕がなくても笑顔で、何とか取り繕っている。まったく出来た人間でもないので、自分の化けの皮が剥がれそうになることもあるが、ひとまず新人ちゃんは可愛い。

一生懸命で、真面目で、ひとつひとつに必死で、こんなわたしに対しても改まって接してきて、実に愛らしいではないか。

可愛いが故についついかまってしまうけど、何だこの先輩と思われない程度に見守っていきたいと思う。新人期間を抜けた、一看護師のわたしができる精一杯をしていきたい。

…やはり、新人であろうと、怖い、嫌いだ、とは思われたくないので。

怖かった先輩やお局を反面教師にしながら過ごしていきたいと思う。

職業:看護師

看護師のイメージ。

優しくて、丁寧で、親身に身を粉にして、熱心に尽くしてくれる、無条件に慈しんでくれる存在。一般ではそんなイメージでしょうか。でも実際は違う。優先順位は命の有無。最悪、患者が生きている状態を維持していればよい。軽傷に丁寧に時間を割いている暇なんてなし。優先順位は極めて下。そしてなにより、わたしたちは看護師という「仕事」に就いているにすぎない。看護師という側面に縛られて生きているわけではないのだ。決まった就業時間内、看護師業務を仕事としてしているだけ。勤務時間が終わればもはやただの人なのだ。緊急入院が定時前に決まれば「あ、運がなかったな。残業決定…」とも思うし、定時前に急変が起これば「このタイミングか…」と思いもする。言わば、定時前に上司や先方に急ぎの仕事を振られた会社員のようなものなのだ。ここを理解していない非医療職が、ものすごく多い気がする。

看護師は24時間病院にいるわけではない。

日勤なら8時半から17時まで、夜勤なら16時から9時まで、そういった時間シフトの中で働いている。なので、19時ごろに残業して帰れていないにも関わらず、日勤に気楽に声をかける患者や患者家族は極めてギルティである。まぁ、そんなこと知ったこっちゃないのかもしれないけれど。

わたしが言いたいのは、あくまでわたしたちは仕事として看護師をしているだけであって、必要以上に何かを期待して求められても困る、というわけだ。慈善事業でやっているわけでもないし、ボランティア活動をしているわけでもない。無条件にわたしたちに善性のレッテルを貼り、それを期待するのは間違っていますよということだ。

医療職に夢を見ている非医療職があまりにも多すぎる。患者一個人にそこまで興味などありはしない。あくまでビジネスライクな関係であることを念頭に置いていただきたい。

憎しみの果てに

なんて平和な世界を、他の人は生きているんだろう、と考えてしまう時がある。

看護師をしていたら、看護師としかいられなくなる。よく聞く言葉だ。それは単に、仕事の休みが不定期だから、同じく不定休の看護師仲間としか遊べなくなるよ、という意味合いのみに受け取っていた。

しかし、最近これは違うと自覚するようになった。考え方や思考まで、一般職の人とは一線を画してしまって、同じく同じ環境に身を置く看護師同士でなきゃ、価値観の共有ができないのだ。


看護師は特殊な職業だ。古い閉鎖的な未だにルールがまかり通る女社会。他人とぶつかり合うことも多々あり、過剰なまでに責任を求められる。それ故に同僚や先輩からキツく当たられてしまうことも少なくない。死を間近で経験すらする。感情をふんだんにぶつけられることすらある。そんな中に身を置く私たちは、謂わば、戦場慣れしてしまった存在なのだ。極端な話、戦争経験をした兵士。他職種の友人はもちろん戦争の経験などない。兵士と戦ったことのない一般人。価値観や考え方が合うはずもなく、兵士は兵士としか真には仲良くなれないというわけだ。

戦場の話を、一般人は理解できないのだから。どれだけ熾烈な環境に身を置いていたか、今までどれだけの修羅場をくぐり抜けて来たか。そして一般人との違いは、メンタル力の差。自我の強さ。それまでの経験からわたしたちは圧倒的に自分の考えや精神力が強くなってしまっている。願はくばわたしたちだって血生臭い戦場に慣れたくなんてなかったが。なので、看護師は気が強い、我が強いと称されてしまう。わたしなんて下っ端気質、まだまだ歴戦の看護師様たちに比べれば、染まり方はまだ浅い。なのにも関わらず、一般人と圧倒的にズレを感じたことがある。あぁ、もう自分は染まってしまっていたんだな、と思った。

一度足を踏み入れたら最後、この特殊な環境に染まった体は元には戻らないのだと悟った。

わたしはもう、看護師以外の友人とは完全には理解し合えないんだろう。

なにせ、立場が違いすぎる。仕事の重さが違う。感性も違う。戦場を知った兵士は、平和な世界は息苦しすぎるのだ。

優しくなれないデイバイデイ

永遠の下っ端気質。気持ちの上ではまだまだ新人気取りなのですが、立場上紛れもなくわたしも新人ではなくなり、何世代か後輩というものができるようになりました。

新人は可愛い。ひとつひとつ、全部に緊張して怯えているようで、守ってあげたくなるし、かまってあげたくなる。自分ができることが彼女らはできず、自分なんかに教えを乞う姿、すごく庇護欲が湧きます。自分が辛い思いをした分、彼女らには優しくしてあげたい。少なくとも、「あの先輩は安心して話しかけられる」枠に入っておきたい、という気持ちがありました。


ただ、わたしは忘れていました。自分も通った道。自分もかつてはそうだったはず。

そう、仕事がビックリするほど遅い。

1日、丸1日かけ、一つの入院を受けるのに22時近くまでかかる。その間、ナースコールは出なくていいよ、と全部わたしが取ったにも関わらず、時間内に終わらない。入院は朝11時前には来た。なのに、終わらない。

わたしは絶望した。仕事が、遅すぎる。

わたしはある程度仕事が早い方で、2時間あればまぁ受けられる。それは求めない。せめて、定時まで6時間あったのだから、それは終わらせて欲しかった。

その入院フォローについた先輩も丸1日それにかかりっきりでいや、お前はもっと周りのこともして働けよと内心怒り心頭だが、とりあえず人手も持っていかれてしまう。絶望しかなかった。おばさま方、軒並み仕事しませんよね。忙しいふりが皆様、すこぶるお得意です。新人フォローのみで1日が終わるの、軽傷の入院フォローだけで終わるの、羨ましい限りです。

新人の何倍も仕事を抱える羽目になり、自分まで忙しい時にそれをやられてしまうとさすがにイライラしてしまう。ただ、わたしはいびられエリート看護師。いびられた経験を深く心に刻みつけた女。(なおいびりは現在進行形、絶賛好評いびられ中!)悲しみの連鎖はここで断ち切る。負の歴史は繰り返さないためにも、おくびにも出さず、あくまで笑顔に、極力フランクに接するのだ。

ただ、あんなにカリカリしていたお局や先輩の気持ちがほんの少しわかってしまった。

そりゃあ腹も立つといったところだろうか。

この気持ちを理解してしまったことにより、わたしも彼女らのように「嫌な先輩」に一歩近付いてしまったようにも感じ、気分が重くなった。なろうと思いお局になるのではなく、年数を重ねることにより、少しずつ自分がお局化していくようで自分で自分が怖い。

よくあるじゃないですか、知らず知らずのうちに自分が化け物になっていくホラー。その気持ちです。いつか自分が嫌悪したお局にはならないように着実に新人の時の気持ちと経験、それに自我を保ちながら、わたしは生きていきたいと思った。

いびりはお局のたしなみ!

厳しいのといびりは似て非なるものだと思う。厳しいのは患者のためであったり、業務を円滑に進めていくために必要なものだと理解できる。いびりは単なる嫌がらせだ。相手に不快感を与えたらそれはもういびりなのだ。言葉尻ひとつ、指摘ひとつ、伝え方や言葉選び、語気の強さ、あえてキツくしているようならいくら正当な訴えでもそれはいびりなのだと思う。そしてわたしはお局と関わるたびにこう思うのだ。「あぁ〜…今日もいびられたな…」と。やはり、いびりは人を攻撃して不快にさせるものなので、胃のあたりが重苦しくなるし、吐き気もする。お腹も減らなくなるし、どんより気分も重くなる。それだけの不快感を相手に与えて自分はのうのうとしているのだから、こちとら溢れ出る殺意である。法が許すなら暗殺している。

自分も相応の報いを受けていただきたい。

しかし目に見えた報いを受けている様子は今のところ見られないので、いい死に方しないだろうな…とかいつか天罰が降るだろうな…と未来に期待している。神様、これだけわたしを苦しめているのだから、ヤツをドン底に叩き落としてください。この通りです。南無南無…。


ツイッターで、お局とワードを入れて検索をかけたことがある。ヒットする結果、ほぼアカウント名にナースやら看護師やら入った人がお局について呟いていた。

やっぱりこの業界、根性悪い人間が多いのですね…みんなお疲れ様です…と思いながら呟きを眺めていた。この界隈、何故にこんな修羅のようなババアしか残らないのだろう。

気の強い、他人を見下していびる者しか生き残れないのだろうか。まともな感性した人間は現場を離れてしまうのだろうか。色々、考えつく要素はあるものの、これとした確固たる理由が見つからない。

親が言うには、親世代の看護師は、頭の悪い不良が手に職をつける為に昔は進路にしたものだと聞いた。なるほど、知性や理性のかけらもないヒステリックお局たちは、不良だからあんなに気がキツイのか、とか、馬鹿だからキレるしかできないのか、とか思うものの、理解したところで自分がこの職を選び、上司が不良なこの世界を選んでしまったことがそもそも間違いだったんだなぁなどと思う。気の小さい、陰気でオタクで引きこもり気質な自分が選んで良い進路ではなかったんだなぁ、とほとほと思う。

早く結婚して専業主婦をしたい、とは言わない。扶養内で働きたい。幸い、看護師の時給は高いので、それなら週に1.5回勤務くらいで済む。はぁ、早く扶養内で働きたい…。

そう思うわたしなのであった。

お局としての軸がぶれている

お局にはお局たる所以がある。誰も良い言葉としてこの言葉を使わないように、この「お局」として表現されるということは悪いマイナスイメージが付いて回る「負」の言葉なのだ。つまり、この言葉で形容される者は誰かしらから「よくないイメージ」を持たれてしまっているということだ。そう、少なくともお局、お局、と呼んでいる歳が一回り近く離れたババアは本当にわたしが嫌っている。理不尽、横暴、態度がでかい。唯我独尊厚顔無恥で理不尽に自分勝手に振る舞う姿たるやもう本当にたまらない。痺れる。どういう生育歴を送り、どのような感性を持てばそうなってしまうのか。ドラマや漫画は見ないのか。主人公の周りにいる悪役や根性の悪い登場人物が自分とダブらないのだろうか?ほとほと疑問に思ってしまう。ある程度歳を取ったら自分を客観視できなくなってしまうのだろうか。わからない。本当にわからない。かつて「自分が怖いことはわかっている」と言っていたのを聞いた。ならばなぜ、それを直そうとしないのだろう。怖いと自覚があるのであれば直さないのか?これもまたわからない。「怖い」はよくないことではないのだろうか。よくないことを直さないスタンスを貫く精神力がすごいなあと思う。

ある日は仕事の中で、「これお願いしますね」と声かけたことがあったが、ひたすらカルテ入力をしていて声掛けは無視された。他のスタッフなら猫撫で声を発しながら「はあい、わかりましたあ」などと言うのである。わたしにだけこれである。何故ならわたしはタゲられているので。お局様から哀れ、嫌われてしまっているからである。

ある日は、「○○使った方、返却お願いします」と声をかけた。返却していないのはお局だけであったので、名指しは避けたかったのでこういう言い回しをした。そうしたら「は?使うって書いてあるし」などと言い出した。普通の常識のある理知的な社会人ならそんな物言いはせず、「わかりました、返しておきます」と返すであろうところを流石お局、指摘されてもただでは転ばない!しっかり仕事中にタメ口自己主張をしっかりこの若輩者にしてかましてくれる!くう~きまったあ!!!今日もやってやったぜ若手イビリ!わたしの威厳を示して来たぞといったところだろうか。お疲れ様です。

 

しかしながら、自分のお気に入りや先輩方、上司などには愛想よく媚びへつらって、自分の気に入らない相手にはあからさまな態度に出すというのはやはりどうしてもいただけないなあと思う。周りも気付く人間、いると思うよ…と思う。しかしながら、看護師業界はキチガイと気の強いモン勝ち、言ったモン勝ち、という部分があるのでどうして我々若手看護師の看護師はかなり肩身が狭い。いや、若手の時点で幅を利かせて台頭してきそうなスタッフはなんとなく空気や雰囲気でわかったりするけど。お局になる才能ってあるよなあ、若くても。と思ったりする。わたしなんかはバリバリ仕事できる方なんかではないので、「せめて周りに優しくしよう、物腰柔らかに過ごそう」などと思うものなのだけど、お局様は自分の仕事ぶりに自信満々なので、その「周りへの気遣い」より「満ち満ちた自信」が態度に出てしまうのだろうなあと思ったりする。

そして我々は勤務表とにらめっこしながら、今日はお局と勤務が一緒かどうか、一喜一憂しながら出勤するのだ。どうせなら面倒な患者や手のかかる医療処置や病態のことに頭を悩ませたいものであるが、プラスアルファでこんなしょうもない人間関係で気を重~くしながら働かなければならないのだ。本当にどうしようもない。

職場を変えるか?部署を変えるか?色々考えを巡らせるものの、どこにでも気のキツいお局は悲しいかな存在してしまうので、結局慣れた場で働くか、という結論に落ち着くのである。そもそも、3,4年以上、いや、5年以上看護師歴のある看護師はある程度したたかで、メンタルも屈強なのである。それなりの洗礼も受け、耐性もあるのだ。まともな繊細な感性を持ち得る人材なら辞めていたりするので、お局にはなるべくしてなったと言っても過言ではない。お局も理不尽を乗り越えてきた上で自分も理不尽に振る舞うという負の連鎖が起こっているのだ。断ち切るという英断ではなく悪しき風習を続けるという愚策を講じてしまっているのだ。本当にしょうもねえなと思う。明日もまたババアのいる日常に身を投じることになってしまう。嫌だなあと思いながらも、お局のために辞めてやる気もないので、ぼちぼち仕事しながらいびられようかなと思う。

嫌な患者

患者の好き嫌いはバリバリあります。人間なので。よく笑う、お礼を言ってくれる、茶目っ気がある、それだけで好印象になるのはやはり自分たちが人間なので当たり前。接され方によって不快にも好感を持てたりもする。

しかしながら、圧倒的に「嫌な患者」というものも存在するわけです。

嫌な患者①、頻コール患者。しょうもないことで連打して来るクソッタレ。人を呼びつけることに申し訳なさや居心地の悪さをカケラも感じないという時点で終わっているし、そんな人からの用事は大抵どうでもいい。早く帰ってほしい。まじで。

嫌な患者②、自己管理ができない患者。例えば腎不全や糖尿病系がこの傾向にある。絶食なのに菓子を食い散らかし、退院して数日で救急車で戻ってきた患者にはスタッフ総員「早く死ね」「救急車呼ぶな」とキレ散らかしていた。至極当然な感情だと思われる。

嫌な患者③、依存度マシマシの患者。生保に多いですね。じっとりとした嫌らしいかまってちゃんオーラ。看護師は雑談相手ではない。話が長いので捕まったら長い。実に無意味な時間浪費である。

思い浮かぶベストIIIはこいつらだ!いかれたメンバーを紹介するぜ!!!ってな具合です。我々は時間内は辛うじて患者に責任を持つが時間外は速やかに帰りたいし相手にしたくない。わたしは患者に基本興味がないので時間内ですら興味はないし強制的な労働の中の義務として観察しているにすぎないので、日勤や夜勤の時間に当てはめられた自分のパート以外はもはや関わり合いになりたくない。しかし、こちら三パターン患者には大いにペースを乱される。情緒もついでに乱される。やはり、自分のパートは穏やかに面倒ごとなく終わらせたいのは人の常であるので、マジでクソッタレだなとか思います。皆そうじゃあないでしょうか。無駄コール鳴らさない!腰が低い!治療に意欲がある!この三点を患者には心がけてほしいと思う。もはや矯正不可な傲慢な老害も多いので難しいけど。こんな現状があるからわたしは税金払う気失せるんですよね。税金、払った分は親の支給に直結するか自分の支給に直結してほしいです。今みたいな患者なく文字通り。公正に。まじで。税金関係で控除5万弱は死ぬのでやめてほしいし今貯めさせてくれ〜頼む〜