お局としての軸がぶれている

お局にはお局たる所以がある。誰も良い言葉としてこの言葉を使わないように、この「お局」として表現されるということは悪いマイナスイメージが付いて回る「負」の言葉なのだ。つまり、この言葉で形容される者は誰かしらから「よくないイメージ」を持たれてしまっているということだ。そう、少なくともお局、お局、と呼んでいる歳が一回り近く離れたババアは本当にわたしが嫌っている。理不尽、横暴、態度がでかい。唯我独尊厚顔無恥で理不尽に自分勝手に振る舞う姿たるやもう本当にたまらない。痺れる。どういう生育歴を送り、どのような感性を持てばそうなってしまうのか。ドラマや漫画は見ないのか。主人公の周りにいる悪役や根性の悪い登場人物が自分とダブらないのだろうか?ほとほと疑問に思ってしまう。ある程度歳を取ったら自分を客観視できなくなってしまうのだろうか。わからない。本当にわからない。かつて「自分が怖いことはわかっている」と言っていたのを聞いた。ならばなぜ、それを直そうとしないのだろう。怖いと自覚があるのであれば直さないのか?これもまたわからない。「怖い」はよくないことではないのだろうか。よくないことを直さないスタンスを貫く精神力がすごいなあと思う。

ある日は仕事の中で、「これお願いしますね」と声かけたことがあったが、ひたすらカルテ入力をしていて声掛けは無視された。他のスタッフなら猫撫で声を発しながら「はあい、わかりましたあ」などと言うのである。わたしにだけこれである。何故ならわたしはタゲられているので。お局様から哀れ、嫌われてしまっているからである。

ある日は、「○○使った方、返却お願いします」と声をかけた。返却していないのはお局だけであったので、名指しは避けたかったのでこういう言い回しをした。そうしたら「は?使うって書いてあるし」などと言い出した。普通の常識のある理知的な社会人ならそんな物言いはせず、「わかりました、返しておきます」と返すであろうところを流石お局、指摘されてもただでは転ばない!しっかり仕事中にタメ口自己主張をしっかりこの若輩者にしてかましてくれる!くう~きまったあ!!!今日もやってやったぜ若手イビリ!わたしの威厳を示して来たぞといったところだろうか。お疲れ様です。

 

しかしながら、自分のお気に入りや先輩方、上司などには愛想よく媚びへつらって、自分の気に入らない相手にはあからさまな態度に出すというのはやはりどうしてもいただけないなあと思う。周りも気付く人間、いると思うよ…と思う。しかしながら、看護師業界はキチガイと気の強いモン勝ち、言ったモン勝ち、という部分があるのでどうして我々若手看護師の看護師はかなり肩身が狭い。いや、若手の時点で幅を利かせて台頭してきそうなスタッフはなんとなく空気や雰囲気でわかったりするけど。お局になる才能ってあるよなあ、若くても。と思ったりする。わたしなんかはバリバリ仕事できる方なんかではないので、「せめて周りに優しくしよう、物腰柔らかに過ごそう」などと思うものなのだけど、お局様は自分の仕事ぶりに自信満々なので、その「周りへの気遣い」より「満ち満ちた自信」が態度に出てしまうのだろうなあと思ったりする。

そして我々は勤務表とにらめっこしながら、今日はお局と勤務が一緒かどうか、一喜一憂しながら出勤するのだ。どうせなら面倒な患者や手のかかる医療処置や病態のことに頭を悩ませたいものであるが、プラスアルファでこんなしょうもない人間関係で気を重~くしながら働かなければならないのだ。本当にどうしようもない。

職場を変えるか?部署を変えるか?色々考えを巡らせるものの、どこにでも気のキツいお局は悲しいかな存在してしまうので、結局慣れた場で働くか、という結論に落ち着くのである。そもそも、3,4年以上、いや、5年以上看護師歴のある看護師はある程度したたかで、メンタルも屈強なのである。それなりの洗礼も受け、耐性もあるのだ。まともな繊細な感性を持ち得る人材なら辞めていたりするので、お局にはなるべくしてなったと言っても過言ではない。お局も理不尽を乗り越えてきた上で自分も理不尽に振る舞うという負の連鎖が起こっているのだ。断ち切るという英断ではなく悪しき風習を続けるという愚策を講じてしまっているのだ。本当にしょうもねえなと思う。明日もまたババアのいる日常に身を投じることになってしまう。嫌だなあと思いながらも、お局のために辞めてやる気もないので、ぼちぼち仕事しながらいびられようかなと思う。